大学受験は自分を変えた?
こんにちは〜
れいなです!
もうすぐ11月ですね〜
私の大学はもうすぐ始まって5週間目で
ミッドターム、中間テストの時期がやってきました。
テストとプレゼンに追われてる〜(−_−;)
ちなみに天文学のテストが昨日終わりました。
意外といけたかな?
結果を待ちます。
こっちにきてから遊びっていう遊びまだなにもしてない気がします笑
勉強か部活か、勉強場所変えるためにご飯屋さん探すかくらいですね笑
果たして中間テストいい点取れるのか。
オールAを目指して頑張ります....
ということで今日は
私の大学受験の経験について語っていきたいなーって思ってます。
あんなにしんどいものはもう一生ないだろう笑
でもあれがあったから、今の自分があるんだなって感じます。
前の記事にも書いたんですけど、私はもともとスポーツにしか興味ない人間だったので
スポーツ学部に行こうと思ってました。
スポーツ学部で1番上といえば早稲田
ということで早稲田を目指しました。
なんて単純笑
けど、私本当にバカだったので偏差値も学力もおわってました。
高2で練習で受けたセンター試験なんて2割くらいですよ。
数学なんて一桁台...
逆にすごくないですか?笑
選択問題なのに
なので早稲田はおろか滑り止めのつもりのMARCHすら手の届かない遥か高くにいました。
まあ口だけは達者なので最初は周りのみんなに
早稲田行くわーなんてドヤ顔で言って
勉強はテキトーに、部活ばっかりやってたんですが
でも、高校三年生に上がるくらいから周りもピリピリし始めて、わたしも少しずつ真剣に考えるようになっていきました。
授業も受験コースということもあってどんどん難しくなってついていけなくなりはじめていたので。
わたしの学校は大学の付属高校だったので7クラスあるうちの5クラスはふつーにそのままその大学にエスカレーターで上がる人たち、
もう2つは文系クラスと理系クラスって感じで
わたしは数学ができないのでもちろん文系クラスでした。
なんで受験したのかの経緯については前の記事でふれてるので見てみてください。
その後数ヶ月経って
高校三年生の四月くらいの模試を受けた時
私はMARCHがc判定、早稲田はD判定
でした。
まあそんなもんかまだって思ってたんですけど
クラスの他の人はみんなMARCHはA判定とかB判定でした。
塾の先生にもこのままじゃMARCHにも受からないぞと言われ
親にもなんとかしたほうがいいと
言われました。
私のはいってた部活は引退が遅く、12月になる可能性があったので
このまま引退まで続けるのは無理ではないか
という話に塾と親の間でなりはじめました。
他の部活は五月とか六月に引退なのでみんな最後まで続けてましたね。
わたしのサッカー部の先輩たちはほんとに優秀で、部活を最後までやりながら早稲田や明治に合格していたのですが、
それを私ができるとは思いませんでした。
塾の人からも親からもあなたには無理だと
言われました。
同学年のチームメイトはほとんどがエスカレーターで大学にいくか推薦だったので受験するのは3人ほど。
私は、受験のために部活を辞めるかどうか
ずっと迷っていました。
だってサッカーがほんとに好きだったんです。
中学から始めて毎日ボールに何時間も触って
自主練が楽しくて仕方なくて、チームの練習でシュートが入るのが気持ちよくて
テスト期間もずっと1人でボール触って
友達にみんなにアイツはサッカー馬鹿だって言われるくらいサッカーが好きだったんです。
それにチームのみんなのことも大好きでした。
自分らしくいられる唯一の場所で、ほんとに家族のような存在で。
死ぬほど笑って死ぬほど泣いて喧嘩して、それでもみんなでうまくなるなるために練習して。 私のことをなんでも受け入れてくれて。なんでも本気で、そして楽しくやるチームメイトがほんとに大好きでした。 自分にとって本当にかけがえのない存在だったから
失いたくなかった。
けど、受験勉強とハードな部活を両立するのって難しくて、学力も足りなかったからどっちかに集中しちゃってなかなかうまくできなかったんです。
私は三年生になってから毎日部活後に学校の近くの塾に通って遅くまで勉強してから帰っていました。
家から学校は1時間半くらいかかって遠かったので毎日家に着くのは12時過ぎ。
でも次の日朝練があったりして起きるのは4時とか。
夜ご飯は食べる時間がないので、食べないか
コンビニ弁当をたまに食べるかとかでした。
朝ごはんもなかなか口に入らず食べない日が多かったです。
それを数ヶ月続けていたのですが、流石に身体にもガタがきて 試合でうまくプレーが出来なくなっていくのを感じていました。
睡眠不足と栄養不足で走ろうとしても体が全く動かない。
さらに塾に通っていると周りも勉強しまくっているので、部活中には勉強しなきゃという焦りがうまれはじめ
サッカーに集中できずに悪循環に陥っていくのを自分でも感じはじめていました。
そしてついに6月に部活をやめるという決断をしました。 こんなに辛い選択ってもうないなって思います。
1人でどんだけ泣いたかわかりません笑
今でもこの時、両立を取らずに逃げてしまった自分にずっと後悔しています。
私もチームのみんなと引退試合に出たかったと心から思っていたので。
ここからは本物の地獄の始まりでした。
毎日16時間、朝から晩まで 人と喋らずに
永遠と勉強していました。
サッカーがやりたいっていう衝動を勉強する事で必死に抑えていました。
友達ともまったく喋らなくなったし、昼も食べなくなっていったので
でも勉強量だけはダントツだったので成績は自然と伸びていきました。
偏差値だって45とかから70前後に伸びて
秋の終わりに受けた模試ではMARCHはA判定
これは早稲田行けるかもしれない、と思いました。
でももうお分かりですよね、私のブログのタイトルMARCHを辞めてって書いてあります
そう、早稲田落ちちゃったんです。
多分人生で1番努力しました、全部犠牲にして
けど報われなかった。
この時私の中で何かの糸がプツンと切れた気がしました。
ああ、結局努力しても報われないのか
サッカーもチームメイトも失ってまで頑張ったのに。
努力って意味ないんだな。
って思いました
一言でいうと本当に 絶望感 でした。
それでセンター利用で受かったH大学の経済学部にはいりました。
経済なんて本当に興味なくて、ただ滑り止めで受けただけなので大学へのモチベーションはゼロ。
周りの友達は大学生だー!っていってはしゃぎ始めたり遊び始めたりしてたんですけど
私はなかなか立ち直れなくて
何もする気が起きずにぼーっとしてました。
少しは大学入ったら楽しめるかなって思ってたんですけど、
蓋を開けてみればみんなサークルでの飲み、バイト、授業はサボって、それでも簡単に成績が取れる大学での生活を満喫していました。
こんな場所が、うちが全て犠牲にしてまで来たかった場所なのか。
あの努力はなんだったんだって
受験に落ちた自分と、サッカーを辞めた自分を
ずーっと恨んでました。
だからまったくといっていいほど大学が楽しめなかった。
H大学だからサークルと飲みとバイトしかないってわけじゃない、日本の全ての大学がそうなんです。
でも就活って卒業した大学名をみられますよね
いくら大学内で勉強してなくても、上の大学はいい会社に入れて下の大学の人は入れない。
そういった学歴社会がまだ残ってるんです。
だから思ったんです。
いい大学に入って遊んでるやつを見返してやろうって。
いい大学に入るよりもいい会社に入った方が
その後の数十年が楽しめるんじゃないかなって。
たしかに就活は学歴が選考基準の1つでもあるんですが、そりゃどんな会社だって
少しいい大学の何もしてなかった人より、下の大学であってもインターンやボランティア、起業したり、海外留学の経験があったり
そんな人を欲しいと思うはずです。
だから自分にできること全部してやろうと思いました。
遊びより、将来のための行動をすることを取りました。
なので私は入学した1年生の四月からインターンを始め、夏にはマレーシアに留学し、GAPでバイトを始め、ビジネスの講義やセミナーに足を運び、起業を考えてみたり、春に今度はアメリカに留学したり。
とにかく動きました。
私の大学生の時の気持ちの変化や考え方についてはまた今度話しますが、受験に落ちたことで
今の自分があるのかなって思います。
本気で何かをやり遂げたら、失敗しても成功してもちゃんと自分の糧になるんです。
あの時私は好きなことから逃げてしまった。
だからもう何からも逃げません。
どんなに大変そうに見えても、無理だと言われても、挑戦することでしか分からないことってあると思うんです。
だから私はこれからも挑戦し続けていきます。
ということで今回は長くなりましたが、
要は人生に無駄なことはないってことです!笑
ながーい文読んでくれてありがとうございます!
ではまた会いましょう!
ばいばーい👋